第七回 ルーマニア

わずか二年のフランス勤務の後、2003年ブカレスト勤務となった。前編にも書いたが、西欧からアパレル生産が安い生産コストを求め東欧に移っており、その需要獲得のためだ。小さいながらもルーマニアに現地法人があったがその立て直しだ。フランスでの失敗を糧に徹底的なデータ分析に基づいて、販売戦略をねり、遂行した。ルーマニアはチャウチェスク、ドラキュラ、コマネチぐらいしか日本では知られてないが、当時のルーマニアはEU加盟に向けて準備をしていた。一方、まだ共産主義を経験した人が大半で文化もその影響が色濃く残っていた。販売用の機械を輸入通関するのにも袖の下が必要だし、地方への運転中に何度か警察に止められたがやはり袖の下を要求される。従業員同士も見た目は仲がいいのだが、裏では同僚の誰々さんが会社の経費を誤魔化しているなど真実でないことを密告してくることも多々あった。文化の違いの中で生活していく外国人の結束は硬い。日本人コミュニティーも同じだ。進出している日本企業も数十社しかなく、家族合わせた日本人も百名程度。通常、日本人会は進出企業からの寄付金で運営されている。日本人学校運営もその寄付金と文部省からの支出とで賄われている。日本人同士は企業のサイズ、業界、年齢、民間か政府系か関係なくほぼ全員が知り合いだ。日本国大使とも週末は一緒にテニスをするほど関係が近い。毎年、恒例となっているのが、日本人会クリスマスパーティーだ。毎年、数十名が新たに赴任してくるのだが、新人芸の披露を強要される。私も商社、メーカーなどの駐在員のグループだったが、、最初は嫌で仕方なかった。しかし、最後はモー娘になりきった芸ではノリノリだった。ストレスが溜まってたのかな〜。今は、いい思い出だ。
Kenhoshi&Company代表
オイシックス COO