山梨の園芸2023年10月号に寄稿

「くだもの随想」として3回連載の1回目が掲載されました。

星 健一
1989年より旧ソ連・インド・シンガポール・フランス・ルーマニア・タイで勤務後、2008年からアマゾンジャパンの経営メンバー。2020年にオイシックス・ラ・大地のCOOに就任し、現在はkenhoshi&Company 代表に加え、3社の社外取締役や大学で講師を務める。著書に“amazonが成長しつづけるための「破壊的思考」” 他、4冊。

第一回:くだものによる人生の振り返り
現在、56歳になる私ですが、父親の転勤に伴い、横浜の中学卒業後、東京の大学入学までの多感な高校時代3年間を甲府市で過ごしました。正直、カルチャーショックの連続でした。“ほうずら”、“いっちょしー”、“いっちゃー”、“ちょびちょびしちょー”、“しわいぞー”などの難しい方言や文化を理解し馴染むのに時間がかかりましたが、結果として有意義で楽しい日々を過ごすことができました。
高校の同級生の中には何人かくだもの農家の子息がいたのを覚えています。牧丘町のぶどう農家、春日井町の桃農家などだったと記憶していますが、それまでの横浜の学校生活では友達の実家が農業に従事しているという経験はなかったので新鮮でしたし、その友人宅でぶどうなどを振る舞ってもらい、親御さんが愛情とプライドを持って育てられているなと感じたのを覚えています。甲府に引っ越す前は、ぶどうといえば、”デラウエア”しか食べたことはなく、”巨峰な”どみたこともなかったので、その大きさや皮を剥いて食べる方法や、その甘さ、おいしさは驚きでした。直近では、SNSを通じて当時の同級生とも繋がりをもつことができ、彼らの生産や出荷過程なども見ていますし、時にはくだものを自宅に送ってくれることもあり、ここにきてまた、山梨県のくだものと接する機会が増えてきました。

2020年にリモート勤務の環境が整い、思い切って東京の自宅を引き払い静岡県伊東市に移住しました。柑橘系を中心としたくだものが豊富で、スーパーマーケットのみならず文房具屋の軒先などでも販売され、町中に柑橘類が溢れています。その中でも、私が好きなのは、春先から夏前まで収穫、販売される”ニューサマーオレンジ”です。黄色い鮮やかな色に加え、みずみずしく甘くて、贅沢にもジュースにして飲むこともあります。

1989年の大学卒業後、2008年に帰国するまでの20年を海外6カ国で生活しました。くだもので思い出す海外での思い出は甘くも酸っぱくもあるので、その話をしようと思います。

1989年から1995まで、旧ソ連であるロシアのモスクワ、ヤクーツク(シベリア)、カザフスタンのアルマーティなどで勤務しましたが、くだものを食べることはほとんど出来ませんでした。特に、1991年までの共産圏の時代には、西側諸国からのわずかながらの輸入くだものは、“ベリオスカ”と呼ばれるドルショップのみしか買えず、通常は夏に収穫したものを酢漬け(ピクルス)として食べることしか出来きませんでした。なので、週末にはフィンランドなどの隣国に出て、新鮮なくだものなどを食べて、そのありがたみを感じていました。
また、1年間滞在したシベリアのヤクーツクは、最低気温がマイナス70度と人間が住む最極寒地としてギネスブックにも記載されています。鹿やトナカイの肉を冷凍庫代わりにもなる極寒の窓の外に置いておいて、食べる時に室内に入れて生肉をシャーベット状のまま食するという環境では当然、くだものは一切ありませんでした。

1995年から1998年に滞在したインドでは、今でこそ急速な経済発展途中で清潔なスーパーマーケットがあり、生産やロジスティックスの管理から、ほぼ他国と同様の水準での買い物が可能となっています。しかし、当時は”スイカ”などのくだものはあったのですが、スーパーマーケットは無く、青空市場で購入するしかありませんでした。そこでは量り売りをするので、注射で砂糖水を入れて重くして販売をし、その水が非衛生的なものでお腹を壊すなどしたため、くだもののみならず、肉、魚、野菜などにいい思い出は一つもありません。そのため、当時、私の様な外国人は3ヶ月に一度はシンガポールかタイに食料の買い出しに行かざるを得ず、良質な食料品の入手には時間もコストもかかりました。
日本にいるとわからないかもしれませんが、まだ、昔のインドの様な食糧環境の中で生活している国がたくさんあり、私たち日本に住む人たちはこの当たり前の環境、すなわち、どこにでもある衛生的で何でもあるコンビニやスーパー、翌日には届くEコマースで美味しいくだものが手に入ることは当たり前のことではないのです。

1998年から2002年まで生活したシンガポールはくだもの天国でした。”ドリアン、マンゴ、パパイヤ、マンゴスティン、ドラゴンフルーツ、ライチ、スターフルーツ”など、挙げればキリがないほどたくさんの種類の新鮮で衛生的なくだものが手に入りました。自分の人生でも一番、くだものを食べた4年間だったと思います。
“ドリアン”は、臭い匂いで有名ですが、クリームチーズのような濃厚さで強い甘みを持ち、特にビタミンB1を多く含有する栄養豊富なくだものの王様と呼ばれています。ドリアンの匂いは複雑でわかっているだけでも26種類の揮発性分、8種類の硫黄化合物が存在します。特にインドールという物質は腐敗タンパク質、哺乳類の排泄物にも含まれるもので、強烈な臭さで苦手な人も多いのも事実です。東南アジアでは、ウィスキーなどのお酒を飲みながらドリアンを食べると死ぬという言い伝えがあります。医学的には解明はされていないのですが、アルコールと反応すると醗酵し、胃の中でガスが発生し膨張してしまうのだとか。。。

2002年から2003年までは、食料自給率が100%を超える農業大国のフランスで生活しました。よく食べられているのは、”いちご、あんず、さくらんぼ”あたりでしょうか。私もパリの郊外の農場によく、いちご狩りや野菜の収穫に行きました。日本の甘さが際立つ“あまおう”や“とちおとめ”などとは異なり味が薄いので、砂糖やお酒と合わせるなどして、それをいちごタルトにして食べるのが定番でした。20年も前なので、今は品種改良や輸入品も増えているのでしょうが、日本のいちごを食べたらフランス人はきっとその甘さに驚くことでしょう。

2003年から2005年に滞在した独裁者のチャウシェスクと新体操の妖精コマネチで有名なルーマニアは、まだEU(欧州連合)に加盟する前の審査期間中で、東側の共産圏から西側の民主国家として脱皮しようともがいていた時期でした。学校を含む至る所に盗聴器が設置され、セクリターテと呼ばれる秘密警察から思想、言論の自由を圧迫され息も出来ない生活を強いられていたのですから、それが無くなったと言われても、疑心暗鬼な感覚から抜け出すことは容易ではないことは想像がつくことでしょう。
とはいっても、フランスのカールフールや英国のテスコも進出しており、それらスーパーマーケットでは西欧の食材が並べられていましたので、マイナス20度にもなる真冬でも、美味しいくだものは食べられていました。また、日本ではあまり販売されていないワインはルーマニアでは6000年もの歴史があり、シャルドネ、カベルネ・スーヴィニヨン、ピノノワールに加え、土着品種のぶどうも多く栽培されています。大量生産されず昔ながらの製法で土着品種を使うものは、フランス、イタリア、カリフォルニアの洗練されたワインとは異なり、テロワールの味、ぶどうの渋みを感じ、古酒と同じ様な味わいのものもあります。ジョージア(旧ソ連のグルジア)のワインと似ているところもあるかもしれません。

最後の海外生活地となった2005年から2008年のタイのくだものは、前述のシンガポールと酷似しています。異なるのは、昆虫を食べることでしょうか。今では代替蛋白質として注目されている昆虫は、クッキーなどの最終製品では元が何かわからないので抵抗なく食べられますが、タイのマーケットではコオロギ、バッタ、タガメなどが原型を残したまま調理されて売られています。私も幼少の頃は、イナゴの佃煮は食べたことはありますが、免疫がない人はかなり食べるのに躊躇するのではないでしょうか。

今回、くだものをキーワードとして自身の人生を振り返ってみましたが、くだもののみなならず、食するということは生活に密着しており、豊かにもしてくれるし、苦い思いでにもなり、食べ物とその場面は紐づいています。また立地による気候条件、そして食文化によって食べるものも異なりますが、だからこそ、旅行などに行くと、それらが新鮮に映り旅気分も高揚します。一方、日本の絶え間ない品質改良、品質管理によるくだものの素晴らしさを改めて顧みることにもなり、関連者の皆さんには感謝申し上げます。

さて、あと残り2回の連載は、顧客中心思考や、SDGsとDXの重要性について書こうと考えています。