第六回 フランス

次の駐在地はフランスだ。 2002年、パリに降り立った。JUKIが1980年代後半に買収した米国メーカーのフランス法人の社長就任だ。フランスにおけるターゲット顧客は、アパレル工場に加え、ルイヴィトンやロンシャンの様なカバンメーカー、また、自動車のシートメーカーである。会社の従業員は25名程度、秘書が英語を話すだけで、他社員もお客さんもフランス語のみ。さて、こまった。赴任後、半年間、夜間、フランス語の学校に通った。日本語、英語、ロシア語に加え四つ目の言語だったが、前夜に習ったフレーズを次の日、会社や商談で使うことを繰り返すと、あら不思議!半年後には、ビジネスで使えるレベルになってきた。それまでのフランスの業績は悪く立て直すために行ったが、あまり深い市場調査をせず販売立て直しのために営業マンを雇用し、設備投資をした。しかし、その後も販売は上向いてこない。実は、労働集約的な産業は東欧に移動していたのだ。結果、わずか二年でフランス法人清算の決断をせざるを得なくなり、人員の解雇など迷惑をかける結果になり自身も辛い経験をした。この経験がその後の事業経営に大きな影響を与えることになった。それは、ヒアリングなどによる定性的な情報より、データ分析を中心とした定量的な現状把握の重要性を再認識したことである。さて、会社は、ベルギー国境に近いリール、自宅はパリ、週末に二時間の運転で自宅に戻る生活だった。日々の生活はパリの重厚な街並みの映画のシーンの様な時もあれば、散歩する犬の糞を拾わない習慣なので何度もアレを踏んでしまった。夏は、従業員が一斉に有給休暇を使用するため多くの会社は一ヶ月休業しバカンスだ。2002年の夏は猛暑だったが、エアコンが普及していないパリでは医者もバカンス中であっっため多くの人が熱中症で亡くなった。住んでみないとわからないことがあるのはどの国も同じだ。
Kenhoshi&Company代表
オイシックス COO 他