四年のインド駐在を経て1998年、シンガポールに転勤した。ここでの管掌はバングラディッシュ、スリランカ、フィリピン、モーリシャス、マダガスカル、ケニア、ヨルダンなどで出張ばかりだった。当時、欧米ではアパレル商品を各国から仕入れるには輸入クオータと呼ばれる数量制限があったのだが、最恵国待遇を欧米から受けている国にはそれが適用されないため、そこに投資が集中していた。今思えば非効率な営業方法であったが、例えば中東ヨルダンのホテルに到着後、イエローページで顧客に電話、アポをとり、今のようにデジタル化されていないので大量の紙カタログをカバンに入れて縫製工場を訪問した。エアコンのないタクシーで窓を開けて舗装されていない悪路を進み、ホテルに帰ってシャワーを浴びるとお湯が茶色くなったものだ。マダガスカル滞在時の2001年には米国の9.11テロ事件が起きた。ホテルロビーのテレビで観たその信じられない光景は今も自分がいた周りの光景と共に覚えている。翌日、ケニアのナイロビへ移動する飛行機は欠航もせず空港も至って普通で操縦席のドアも開けっ放しで飛行し、米国は遠い国なのだなとも感じた。週末には出張を終えて帰国していたシンガポールの生活は快適だった。安全で清潔な環境は家族を家に残し出張をしても安心だった。マンションにははプール、テニスコート、ジム、スーパー、レストランなど何でも揃っており、それまでのソ連、インドでの生活から格段に向上した。当時、人口四百万人ほどだったが中国系70%、マレー系20%、インド系10%、公用語は英語である。これに外国人を含めた多様性と外資誘致施策が継続した経済発展を可能にしている。日本も大胆な経済活性化施策が必要だ。
Kenhoshi&Company代表
オイシックス COO 他